石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

【重要】まずは「石田のヲモツタコト」の中の人と「その他の石田」の分離を読んでください。

続々・選挙における棄権について

# 2007/07/13 はてなスターは隠しました
# 2007/07/12 ☆みっつは石田が間違ってつけた物。消し方がわからん。無視してください。
# 2007/07/12 誤字訂正 3箇所 既に引用されてるので、文中で訂正した。
# 2007/07/12 誤字の1:政治に反映 → 選挙結果に反映
# 2007/07/12 誤字の2:そのことに価値 → このことに価値
# 2007/07/12 誤字の3:といわけで → というわけで
# 2008/03/13 まちがってつけた ☆みっつは は消した

「続・選挙における棄権について」の反論

ざっと読みました。全体に不同意ですが、全部指摘するのは面倒なので重要なところだけ。

日本の選挙制度では「棄権=白紙委任」という確定は理論的に確定できないのは、以下の理由からです。
1:棄権行為を白紙委任とする法理もないこと
2:政治意思として棄権行為を否定する法理がないことと
3:選挙を消去法的思考しない政治意思の自由があること以下のことがあげられます。
重要なのは3です。

ここまで読んだところで「熟読する価値無し」と判断して、以後は流し読みしました。


「棄権=白紙委任」について、石田は実質の話をしてます。理論的に確定かどうかは興味ありません。公職選挙法ができた 昭和25年 以降の選挙においては、実質的に「棄権=白紙委任」でなかった選挙は無いはずです。近い将来、実質的に「棄権=白紙委任」でない選挙が出現する可能性も、極めて低いと考えています。


1については、理論的にもダメです。
棄権がいかに多数であろうとも誰かが当選し、主権者(棄権した有権者を含む)に由来する権力は、当選者に負託されます。このことは法が予定しています。したがって、理論的に棄権を白紙委任とみなす法理はあります。


2については確かにそうでしょうが、「だから何?」としか応答のしようがありません。
そんなこと言ったら、棄権を政治意思として斟酌する法理だって無いわけです。


3については、思想の自由ですから皆さんご自由にすれば良いでしょう。けど、その思想が政治選挙結果に反映される可能性は、限りなくゼロに近いことが自明です。
この可能性があるとすれば、冥王星代行の方が仰る通り、あまりにも無効票が多すぎて選挙無効となる場合でしょう。しかし、日本の法はこれを予定していません。したがって、これが起きるときは「法治」を損なうときです。しかも、他国の介入によって「法治」を損なうことになれば、日本が独立国と言えるのかどうかすら疑問です。
日本をそんな国にしたいのですか?

「白票」というのは投票行動としてカウントされるからです。

石田はそのこのことに価値があると考えていません。このことは、最悪を回避するために何の効果も期待できません。有効票には最悪を回避する効果が期待できます。

たとえば、評価機軸が一点であれば、全員等しく同じことは十分ありえるでしょう。

候補者を一軸で評価することは妥当とお考えでしょうか? 主権者が当選者に負託する権力は極めて大きく、当選者が解決すべき現実の課題は多様で複雑です。この現状で候補者を一軸で評価するのはダメです。
というわけで、評価軸が一軸であることを前提にした議論は、空論でしかありません。

いうまでもありませんが、カウントされないという法理はありませんので、判断が難しいわけですが、選挙管理委員会の判断に委任されているという理解が妥当です。
守秘義務もありますので、他事記載のカウントの問題は問題にならないと発覚しませんが、他事記載の無効判断も運営側の問題であり、無効票という確定ではないことは、法理的には言えるでしょう。
http://www.saga-s.co.jp/view.php?pageId=1765&mode=0&classId=1&blockId=188059&newsMode=article

「他事記載」を無効とする法理は、公職選挙法 第68条 に定義されているようです。
参考:公職選挙法,(略)公選法


判断が難しいのは、個々の他事記載が「職業、身分、住所又は敬称の類」などであるかどうかでしょう。「がんばれ」を、「職業、身分、住所又は敬称の類」とみなすかどうかは、まずは選管の判断で、最後は裁判所が判断するんでしょう。けど、石田なら「がんばれ」は敬称の一部だと主張する方がいたら、その方の日本語力を疑います。


参考に示された URL の記事も読みましたが、どうも石田の主張を補強する記載しか無いようです。