石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

【重要】まずは「石田のヲモツタコト」の中の人と「その他の石田」の分離を読んでください。

かけた時間に見合う成果は得られなかったな

# 2007/07/13 誤字訂正 ことにも→ことも

ざっとながめて「熟読する価値無し」と判断したので、やっぱり飛ばし読みで。

まず、”可能性が低いという”ことで否定することが「理論」なのでしょうか?

この場合はそうです。現実世界のリソースは有限なので、当面起こる気遣いがない事象について検討するのは、リソースの無駄です。

同時に、棄権=白紙委任という理解、白票=白紙委任・・どっちがより理論性と妥当性があると思いますか?

これをはかりにかけることは無意味です。「棄権=白紙委任」でかつ「白票は棄権の一部分」です。

どうして「棄権=白紙委任」なのか?という説明責任はまだ果たしていないわけですが、どうしたらそうなるのでしょうか?

この説明は「棄権がいかに多数であろうとも誰かが当選し、主権者(棄権した有権者を含む)に由来する権力は、当選者に負託されます」で尽きています。この説明を読んでなお「どうしたらそうなる」かわからない方に、どう説明すべきか石田には思いつきません。この説明の不備を具体的にご指摘いただければ、気が向いたらお答えします。
石田には「説明責任」を負わされるいわれは無いので気が向かないかもしれません。

「だから何?」というのがすべてでしょう。
それを尊重できない価値観だからこそ、石田氏の見解は稚拙だと言及できるわけです。

「だから何?」がすべてなら、それは言及する価値がない空論だということです。石田は空論に価値を感じないし、そのことを稚拙だとは考えません。石田は暇人ではないので。

「棄権を政治意思として斟酌する法理だって無いわけです。」というのは、”ある”という方が証明するべきなので言及します。
まず、自由権の視座からいえば、本質的に「棄権」という政治意思が公共性を逸しているという明確な論拠がないことからこの自由は保障されます。この自由の保障を担保するのはいうまでもなく、合意形成に至る広義の法概念といえるでしょう。これが法理ではなく法として認められる論拠です(自然法論議はかなり原論的で難しいですが)
選挙制度としての「自由選挙」という概念からも「棄権」は否定しきれないことは様々な「自由選挙」という言葉の説明からも言い切れるでしょう。ここらは検索で調べてください。ソースは山のようにありますし、憲法15,19,21からも判断しえます。
そいて繰り返す述べるように、選挙制度、運営に対するアンチテーゼを提示するに、白票では論理矛盾をきたすことは明白である以上は、その選挙を否定する政治意思は尊重されることは言うまでもありませんし、その実例は数多くあります。その実例こそ、あることの証明と実例として明示できるでしょう。

「棄権を政治意思として斟酌する法理」があることを証明するには、「その選挙を否定する政治意思は尊重されること」の法理を述べる必要があります。「その選挙を否定する政治意思は尊重されること」を「言うまでもありません」の一言で片付けたのでは法理を述べたことになりません。「棄権する自由があること」の法理は述べてあるようですが、それじゃダメですよね。
「棄権する自由があること」には石田も同意します。けど、選挙では自分の頭で考えて、有効票を投じることを全ての有権者に依頼します。

ちなみに、選挙バイトの経験ある私ですが、「がんばれ」はカウントOKです。

そーですか。じゃ、それはわかりました。
他事記載を無効とする法理があること自体は明らかになったようだし、現場で「がんばれ」を有効票として数えることも、石田自身はあんまり問題だと思わないのでかまいません。
「がんばれ」が他事記載かどうかは、もともと枝葉の話ですしね。重要なことは、白票は「単なる書き損じ」や「他事記載無効の票」と同じ扱いでしか数えられないということです。

候補者を一軸で評価することは妥当とお考えでしょうか?(後略)

妥当性がないとは言い切れないでしょう。認めていませんが、郵政解散のように政治が特異的な特定部分を論題に特化する選挙もあり、それが無効でもありません。同時に、評価軸が一点である選挙戦はありえることは地方自治選挙などでは想定可能でしょう。

石田は、先の郵政解散のような選挙でも、地方自治体の選挙でも、候補者を一軸で評価すべきではないと考えます。その理由は既に述べたとおり、「主権者が当選者に負託する権力は極めて大きく、当選者が解決すべき現実の課題は多様で複雑」だからです。

提示したURLを引用すれば(引用先はhttp://www14.plala.or.jp/astronomy/column/hyou.htmlの下段
しかし、やや判断しにくい問題もあります。たとえば、「レオ様最高!」と書かれていたらどうなるでしょうか。「レオ様に15票」などと書かれていた場合にはどうなるでしょうか。

ありゃ。これは失礼しました。
石田が「読んだ」と言ったのは、「選管、過去の判例頼り―「疑問票」の判定基準は (06年9月24日)/佐賀新聞ニュース/The Saga Shimbun :読者と記者の交差点」の方です。石田が引用した URL はこれだけだし、エントリの冒頭で「流し読み」であることは告げていたので、わかるかと思ったのですが、もっとはっきり明示すべきでしたね。すいません。


ヲモツタコト:
さて、棄権を肯定する方が、棄権にどういう価値を期待しているのかには興味があったが、結局「棄権が多数になることで選挙を無効にできる可能性がある」という話しか聞き出せなかった。かけた時間に見合う成果は得られなかったな。
あと期待できる成果としては、この経過を読んだ読者が、棄権を肯定することで期待できる物は無いに等しいほど小さいと理解してくれることぐらいだ。けど、今のところこの議論の読者は十分に少ない。まぁ、いつか発掘されることがある可能性はあるのだが、ネットには新鮮な情報があふれてるので、あまり期待できんな。