石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

【重要】まずは「石田のヲモツタコト」の中の人と「その他の石田」の分離を読んでください。

「終戦の日」の新聞とか読んでヲモツタコト

# 2007/09/14 誤字訂正 1箇所 三国演技 → 三国演義
石田は、死地に臨む覚悟を迫られたことが無い。
死地に赴く人々は、それを「何のため」と信じていたのだろうか。石田の想像が及ぶ限りでは、 「国のため」, 「故郷のため」, 「子のため」, 「妻のため」, 「母のため」 など、人によっていろいろだったろうと思う。中には、死を賭する理由がわからないまま、それを避けるすべがなく死地に赴いた方もあったかもしれない。


それを「何のため」と信じたかは人それぞれでも、その信念に心を動かされる人は多いだろう。石田もそうだ。特に関行男大尉が報道班員に語ったとされる話には強い印象がある。このほかにも、とても多くの方が「何かのため」と信じて死んでいったのだろう。
そのことを思うとき、どうしても許せないのがその信念を利用して、他人を死地に追い遣る者が居るということだ。こういうことを決して許してはならないことを、もっと多くの方が理解する必要がある。


石田にも子がある。子の親として、石田にはわが子を戦地に送らずに済むように努める義務がある。もし、石田が戦地に赴くわが子を見送らざるを得なくなったとしたら、石田はその子に申し訳なくて合わす顔が無いだろう。既に、わが子を戦地で亡くされた方には、酷な言い分かもしれないが、石田はこう信じて行動することにしている。
既にわが子を戦地で亡くされた方には、石田からは慰めの言葉しか無い。しかし、そのことを見たり聞いたりした者は、そのことから学ばなければならないと、石田は考えている。


「戦への対処は五つあり、より望ましい順に 避ける, 戦う, 逃れる, 降る で、これらがかなわぬときは死だ」という話がある。石田が読んだのは、三国演義で司馬仲達が公孫淵の降伏を拒むときのセリフだったと記憶してるが、出所が何かは知らない。*1
石田自身はこのより望ましい順序は、状況に応じて入れ替えるべきと考える。仮に戦い得るとしても、逃げたり降伏したりする方が上策である場合もあるだろう。


石田は、国家とは人が幸福になるための手段であるべきだと考えている。したがって、「国のために戦って死ぬ」という選択は、石田にはあり得ない。家族を守るためになら、武器を取って戦うかもしれない。
家族を守るために、国を守るのが好都合な場合も、戦うかもしれない。けど、この場合も目的は「家族を守る」ことであって、「国を守る」のはその手段に過ぎない。この目的と手段を間違えるべきではない。


戦没者への追悼のしかたや、戦争の惨禍について考えるやり方は、人それぞれの内心の自由だ。したがって、誰であれ誰にも「いつ、どこで、どのように、どうする」かを指図したり、推奨したり、逆に誰かのやり方を非難したりするべきでないと、石田は考える。


先の戦争では、制服を着て戦地に赴いた軍人の方や軍属の方のほかに、軍籍でない市民の方も多数惨禍に遭われた。その市民の中には、戦争の経緯に何の責任もあろうはずの無い、幼い子供も多数いた。それを思うと、正義の戦争などあり得ないという気持ちを抑えきれない。
しかし、現在でも否応なく戦争に巻き込まれる人々がまだ居る。世界は、日本国憲法の前文に書かれているほど、平和ではないようだ。せめて、戦争に巻き込まれたくない人々が、安全に惨禍を避けられるようにできる、良い方法が無いものだろうか?


石田は現在の日本国憲法は、当面改憲すべきでないと考えている。石田の理解では 1991年 の湾岸戦争のときまでは、日本政府はこの憲法を、非常に上手く運用し、巧みに戦を避けていた。しかし、最近は運用が下手になってきたようだ。
それもとも、国民が知らないところで、そうせざるを得ないほどの圧迫を政府が受けているのだろうか? はたまた、石田がそういう事情を知らないだけなのか?
いずれにせよ、戦を避けるために有用な手段は多いほうが良い。この手段として必要であれば、軍事力も維持すべきだ。ただし、その軍事力を行使することには、慎重な配慮が必要だ。もし、誰かを戦地に送ってでも解決しなければならない問題があると考えるならば、そう考える本人はぜひとも戦地に赴くべきだ。

*1:三国演義はつまらなかった。三国志の物語では、石田は「秘本三国志」(陳舜臣著)が一番好きだ。