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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

「水からの伝言」人は言葉の良し悪しをどのように認識するべきか?

教育 電波

kikulog 「水からの伝言」よくある誤解」のコメントで紹介されてた記事読んだ。

科学者から「ニセ科学」との批判が相次いでいる「『ありがとう』という文字を見せた水の結晶は、美しい形になる」との内容を、先生が子どもたちに紹介する事例が教育現場で出ている。長野市内の小学校でも校長が全校児童を前に講話する事例があった。
(中略)
校長は「内容は半信半疑ではあったが、言葉遣いが荒れていることを子どもたちに気づかせ、きれいな言葉を使おうという趣旨だった」と説明。科学者による批判は「知らなかった」とし、「知っていれば講話では扱わなかった。不適切だった」としている。

この記事の通り読むと、この校長は「(科学者による批判を)知っていれば講話では扱わなかった。不適切だった」と言ってるように読み取れる。けど「科学者による批判」があるから不適切なんじゃないはずだ。
別に、「科学者による批判」なんかなくても、この話がデタラメだってことは、並みの知識がある大人ならすぐわかる。何より「言葉の良し悪しの判断を物質のふるまいに求める」ことを、疑問に思わないことがすごくダメだ。


この校長は、「言葉の良し悪しの判断を物質のふるまいに求める」ことについて、自分の頭で考えたのだろうか?
どういう知識であれ、いい大人が自分の頭で考えることなく、仕入れた「お話」を知識として受け入れているとしたらとても恐ろしいことだ。
自分の頭で考えたうえで、この「お話」を講話で使えると考えたのなら、「人は言葉の良し悪しをどのように認識するべきか」を、ちょっとだけ考えてみてほしい。