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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

日本語を使うときに重視すべきことはなんだろう

教育

# 2007/09/20 携帯電話端末のキャッシュから復旧した(ついでにちょっと直した)
町田市議会の 三遊亭らん丈市議 の日記エントリ「「竹内洋『大学という病』」 - 町田市&真打“三遊亭らん丈”の「いやはやなんとも日記」」を読んだ。そのエントリの冒頭には、書籍『大学という病』を読んだ感想を述べる旨が記してある。以下、引用は全てこのエントリから。

 本書は、教育社会学を専攻する、竹内洋京都大学名誉教授)による...(後略)
 初出は、「大学という病」というタイトルで、『中央公論』2001年1月〜8月号に連載されたものです。

この部分は書籍の紹介だと識別できる。

 大学設置基準等の大綱化...(中略)...サバイバルや拡張のためのものになりやすい傾向が見えます。

この部分は「感想」でないことは識別できた。けど、書籍の要約なのか、らん丈市議の意見なのかは、明示的に識別できない。たぶん後者なのだろう。

 本書は...(中略)...を描いていますが、竹内は大学人の生態を、“大学教授の仕事は研究室や教室という独立王国の中でおこなわれる。日常的なコミュニケーションの必要と機会が少ない。にもかかわらず人事は選挙だからたえず同僚間の票読みをしなければならない。

「独立王国の中でおこなわれる。日常的なコミュニケーションの必要と機会が少ない。にもかかわらず」の部分に出てくる 2箇所 の 「。」(句点) は 「、」(読点) に置き換えるべきと考える。石田は置き換えて、この引用した部分全体で一文であると読み取った。
この文は、前半と後半の関係が読み取りにくい。「描いていますが、」は「描いています。」にして、残りの部分は別の文として記述すべきと考える。

 本書は、東大経済学部の河合栄治郎、土方成美、大内兵衛を軸に...

から

...木下半治「大学の挽歌」『中央公論』昭和11年4月号の文章を引いています。

までの部分は、書籍の引用と要約であると読み取った。

 たしかに、いつの時代でも組織には派閥ができ...(中略)...大森義太郎の描き方も、中途半端に終わった憾みが残ります。

どうやら、この書籍を読んだ感想と読み取るべき部分は、この部分だけのようだ。
読書感想文を書こうとして、その文章のほとんどを要約で埋めてしまう例の話をどこかで聞いた覚えがあるが、これもそのひとつなのだろうか?

 また、これは文庫では、訂正されているでしょうが、「喧々諤々」という記述には驚いたものです。
 もちろんこれは、喧々囂々、侃々諤々、の混同による誤用であって、こんな日本語はありません。

自然言語は社会の広範な合意によって成立しており、常に変化し続けていると、石田は認識している。言語仕様がきっちり仕様書で定義されているプログラミング言語の類と異なり、自然言語のひとつである日本語に仕様書*1があるわけではない。したがって「こんな日本語はありません」という主張一般に、石田は同意しない。こういう場合は「この言葉が日本語であるとの意見には同意しない」などと主張すべきだ。
自然言語を使うときに重要なことは、「言語仕様*2に沿っているか」ではなく、「趣旨が誤解されずに伝わる状態にしているか」だと、石田は考える。*3

*1:国語辞書は仕様書ではないと、石田は認識している。念のため。

*2:存在してはいないが。

*3:ただし、絶対に誤読の余地が無い文章を書くことは不可能だと、石田は考えている。こういう要求はただの無理難題だ。