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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

公教育は主に教師と親が協力して成り立たせている(ハズだ)

教育

最近、「教育の窓・ある退職校長の想い」っていうブログをアンテナに入れて、ときどき読んでる。石田はこの方のご意見には同意できない部分も当然にある*1が、いろいろと考えるきっかけを頂いているし、子を持つ親として石田がこれまで気付かなかったことを気付かせてもらったりしている。


このブログのエントリ「教育の窓・ある退職校長の想い:ああ。どうなってしまうのだろう。」では、大阪で行われた小中学校の校長先生向け洗脳セミナー研修会のことが話題になっていた。この先ず聴衆を全否定してから偏った思想を注入するセミナー研修会では、全国学力テストの成績が振るわないことなどを取り上げて、「それでも教育のプロですか。子供に申し訳ないと思いませんか」とか、「子供たちが荒れる理由は基礎学力の崩壊にある」とかいったご意見が、演者の方から聴衆であるところの校長先生方に訴えられたらしい。


石田は、この研修会の様子を新聞報道(「それでもプロか」と校長研修会で“喝” 大阪府教委 2008.11.6 21:13)で知るのみ*2で、当然全部わかってるはずはないので、石田がなにかひどい勘違いをしている可能性はある。
けど、この件について石田がヲモツタコトを、まとまり無く書いてみることにする。

学力テストそのものについて

まず、前からずっと思ってたのだが、学力テストを全数検査でやるのはあまりにコストが無駄だ。いまやってる学力テストは、カネが無駄なのでやり方を変えるべきだ。国全体の学力や、ある地域での平均的な学力を知りたいのならば、抜き取り調査にすればずっと費用が安く上がる。


運悪く「抜き取られた」子供は、時間と労力を提供させられるので、このことには配慮が必要だ。個人の負荷が過大にならないように、一人の児童生徒が受けるテストは一教科だけにするなどのくふうができそうだ。個別の結果を通知してもらえるなどの見返りを与えるのも良いかも知れん(なんかマズいことがありそうな気もしないでもないが...)。

質疑応答が振るわなかった件

報道によると、質疑応答では聴衆からまったく手が挙がらなかったそうだ。
だとすると、この研修会はダメな研修会だった可能性が高い。なんで、こんなダメなことになってしまったのか、新聞報道だけから推し測るのは差し控えるべきかも知れんが、おそらく演者の方々はこのことについて何らかの反省があってしかるべきだ。はたして演者の方は「教育のプロとして聴衆の方に申し訳ない」と思っただろうか?*3

地理のクイズの件

報道によるとこの研修会では、最初に「中学校の地理で教えているヨーロッパの国の数を質問」して、大半の参加者がこれを間違えると「だからダメなんです」と演者の方はぶち上げたそうだ。


この「中学校の地理で教えているヨーロッパの国の数」というのは、現在の初等および中等教育で、校長を勤める方々がぜひとも知っておくべき重要なトピックなのだろうか? これは石田にはわからない。
しかし、石田にわかることもある。石田が知る限りでは、この「質問」は一意に「正解」を導ける性質の物でないはずだ。地理の授業の際に、ヨーロッパの国にいくつ触れるかは、教員の方一人ひとり違っていて当然なはずだ。


それとも、学習指導要領とかで「必ずいくつでなくてはならない」とか決まってるんだろうか? ちょっと現行の学習指導要領を調べてみた。この質問に関する記述としては、以下の記述が見つかった。

エ ウについては,二つ又は三つの国を事例として選び,具体的に取り扱うようにすること。なお,事例として取り上げる国については,近隣の国を含めて選び,それぞれ特色ある視点や方法で追究するようにすること。

やはり「必ずいくつでなくてはならない」と決まってるとは読み取れない。学習指導要領の他に、このことを現場の地理教師を一律に拘束する、別の仕組みでもあるのだろうか? だとしたら気持ち悪いな。

「子供たちが荒れる」の件

「子供たちが荒れる理由は基礎学力の崩壊にある」というご意見は、その裏づけとなる理論がどんなものなのか、ちょっと気になる。
学校で習う内容がぜんぜん理解できなかったら、授業を聞くのはつまらないし、学校に通わされることは子供にとって苦痛だろうと、石田は考えている。これが昂じて荒れるという結果に結びつくことはあるかもしれない。けど「子供たちが荒れる」理由にはもっと重要なことがあるのではないだろうか?


石田が子供だったときの経験では、子供を荒れさせないためには教師の権威を保つことが重要だった。もし、子供の親が教師の権威を損なう言動を子供に見せていたら、教師の方の努力で教師の権威を保つのは、まず無理だろう。このことは過去に「「権威」について考えたこと - 石田のヲモツタコト」でも少し書いた。
もちろん、石田の経験はたかだか n=1 の体験談でしかないことには注意が必要だ。わが子の教育において、子供や教室が荒れないために何が重要かは、直接わが子に触れる教師の方ともよく相談して考えよう。教師の方は、専門家として石田の体験談を補う助言をしてくれるはずだ。

公教育の主体について

報道されていた、「金を出さない政府、しつけの悪い親、無責任なテレビ局…。なぜ教師が怒られないといけないのか」とのご意見には、石田は一部同意する。政府がもっとカネを出すべきなのか、親のしつけが悪いのか、テレビ局が無責任すぎるのかは、石田にはわからない。けど、公教育の結果責任を教師だけが負うべきではないという点において、このご意見と石田の意見は一致している。石田が知る限り公教育は、主に教師と親が協力して成り立たせているものだ。このほか、行政や地域の方のサポートを得られることもあるだろう。

ヲモツタコト

わが子の学力について、教師の責任を追及するのみで、自分でできることを考えない親には、石田はなりたくない。石田は父として、最もわが子を理解している教師*4でありたい。
石田にとって「学校」はサービス業じゃないし、そこに通う子供やその親は「お客様」であってはならない。石田は学校と協力しつつ、主体的にわが子を教育する親でありたい。*5

*1:石田と全ての意見が一致するのは石田だけのはずだ。

*2:ってゆーか、「教育の窓・ある退職校長の想い:ああ。どうなってしまうのだろう。」を読んで、この報道を読みに行ったのだ。

*3:これが「研修会」でなく「洗脳セミナー」だったのであれば、質疑応答で手が挙がらないのは当然だ。

*4:石田の職業は教員じゃない。

*5:なんか、この辺の事情は「学校」を「病院」に、「お客様」を「患者様」に置き換えてもだいたい成り立つような気がする。