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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

子供に大人が解決策を押し付けることの害

教育

カワバタヒロトさんのブログエントリ「リヴァイアさん、日々のわざ: 学校の経験値が下がっている?」のコメント欄で石田が書いたことを、主に石田が後で読み返すためにここにまとめておく。


石田は、幼児のけんかやおもちゃの貸し借りなどのトラブルには、なるべく介入しないようにしている。
けんかなら、大きなケガになりそうな危険なことをしない限り基本的にほっておくし。おもちゃの貸し借りには、「貸せない者は、貸してもらえなくなる」という話をする程度で、今そのおもちゃを貸すべき(または返すべき)かは、基本的に子供に判断*1させる。子供が、「もう少し使ってから貸す(または返す)」と主張したら、その結果、泣こうがわめこうがけんかが始まろうが、子供同士で問題を解決すれば良い。


石田が子供だったときのことを思い出してみると、大人が子供に「仲直りしろ」とか「謝りなさい」とか命じたり、果ては無理やり握手させるまでして、問題解決を強要*2する姿を見た覚えがある。石田は子供心に「そんなんで仲直りするわけないじゃん」と思っていた記憶がある。


幼児のわが子も、しょっちゅう近所の子を相手にとか、兄弟でケンカをするが、今のところほぼ全例で、ほっとけば勝手に仲直りして、また一緒に遊び始ている。ただし、石田じゃない大人が介入して仲直りさせてるケースもあるので、すべてそれでうまくいくのかはわからない。石田は確たる根拠は無いが、幼児においてはたぶんうまくいくと考えている。
しかし、わが子が小学生とか中学生とかになったら、たぶんこんなに簡単にはすまなくなるだろう。そのときに、腹を立てたり悲しんだりしている子供の気持ちを、上手に聞きだせる父親になれたら良いなぁと、石田は考えている。



そのエントリのコメント欄での ささがにさん のコメント「投稿 ささがに | 2008.11.29 17:47」に書かれていた取り組みに、とても興味深い物があった。

世田谷ではないのですが、週に何日か、学童クラブの手伝いをしているんですが、こちらも学級の荒れを引きずって帰ってくる子たちがいます。
小学生相手なら何年かの経験がありますし、去年培った彼らとの関係の貯金があるので、少しずつ切り崩しながら関わってます。
こちらは、問題行動を取った児童を個別に注意するよりも、その行動の周囲にいた子たちをとにかく集めます。
なんでそうなったかということをできるだけ短く単純化・抽象化させながら手繰っていき、なんとかして失敗を成功につなげられるようにみんなで考えていこう、という方法を取るようにしてます。
小学生ならまだこれが有効なんだな、というのが個人的な実感。

この、子どもたち自身に考えさせるという方法は、すごく魅力的な方法だと石田は考える。「自分の頭で考える練習」としても、すごく有効だろう。


もし、大人が子供に解決策(たとえば「そのおもちゃ貸してあげなさいよ」とか「けんかやめて仲直りしなさい」とか)を押し付けたら、大半の子供は言われたとおりにしたフリをするのではないかと、石田は考えている。少なくとも、石田はそうしていた。
その押し付けられた解決策が「規範に従う」だった場合は、せっかく子供が「なぜその規範に従うべきなのか」を学ぶ機会を得たのに、その機会を潰してしまっているとも考えている。


ただし、大人が子供に何も教えず、ただ子供だけで考えれば良いということではないと、石田は考えている。必要なことは教えた上で、そのことについて考えて、子ども自身に判断をさせなければ、教えたことが身に着くはずが無いのだと、石田は考えている。おそらくは、 ささがにさん の周りにいる子供たちも、必要なことを教わっているからこそ、それができているのだろう。おそらくは ささがにさん も、このことはご承知なのだと石田は推測してる。


大人から解決策や規範を押し付けられるとき、子供は「自分の頭で考えない練習」をさせられているとも、石田は考えている。「自分の頭で考える練習」については、石田はこんなものを書いたことがある。
「なまはげツアー」のサイトで紹介された「声」が示すこと - 石田のヲモツタコト


ささがにさん による「小学生ならまだこれが有効なんだな、というのが個人的な実感」とのご意見はつまり、中学生くらいの賢しい年齢では、うまくいかないということなのだと石田は読み取った。石田もまったく同感だ。
少なくとも石田は、中学生くらいのときには「石田が自分で考えた結果、教師が期待している結論に、たまたま到達した」ように見せかけることができたと記憶している。これじゃ意味無い。


この「見せかけることができた」は、できたと言うより「自分の頭で考えない練習」に励んだ結果、中学生だった石田はそのように作動する装置になっていたのではないかとも、石田は考えている。
あと、「オメー(教師)の説教なんてさっさと終わらせたいだけだよ」って思ってるときも、何も考えずに上記ように作動することで、その場をさっさと切り上げるスキルを、中学生の石田は身につけていたと記憶している。
学校を出て働き始めた後は、このスキルを使う場面に石田はほとんど出くわしていない。これはたぶん、とても幸運なことなのだと石田は理解している。



同じ ささがにさん の別のコメント「投稿 ささがに | 2008.12.03 23:27」で、このような話もあった。

あと、「あやまればいいんでしょ」で済まそうとする小学生がびっくりするくらい多くて、それじゃいけないよなあ、と思ったのも大きいです。
なので今では、話し合った末に気持ちや思いを口にできたら、謝るかどうかは本人同士に任せることも多いです。


なんて偉そうに言いながら、今日は「どうして自分のランドセルを他の人に持たせたらいけないのか」について、20分もかけて話し合った上にうまく着陸させられなかったりもしているのですが……。

こういうことがあっても良いのではないかと、石田は考えている。少なくとも、大人が考えた「正解」を子供に押し付けるよりは、ずっと良い。


真剣に話し合っても、お互いが納得できない場合があることも子供は学べば良いと、石田は考えている。また、納得しないままのモヤモヤを抱えた子供は、後でそのことをひとりで考えたり、帰宅してその出来事を親に話したりするとき、意見の異なる相手と顔を合わせて話しているときには気付かなかったことに、気付く可能性も(少しは)あるのではないかと、石田は考える。


子供同士で話し合ってうまく着地しなかったことを、子供が家に持ち帰って家族の方と話し合うようなことがあれば、これもまた子供にとって良い機会が得られるだろうと、石田は考える。
もっとも、この結果「学校にねじ込んでくる保護者の方」がいらっしゃたりすると、それはすごく面倒だ。石田自身がそのように振舞うことが無いよう、気をつけることにしよう。


石田がこういう出来事に親としてぶつかるのは、もう少し先のことなのだろう。石田が思いもよらなかったことが、これからたくさん起こるはずだ。石田自身も、これからたくさん学ばなければならない。
どんな「思いもよらなかったこと」が起こるか、今から楽しみだ。

*1:ただし、ちょうど貸し借りでトラブルになってるところを親に見られて、そこで親に「貸せない者は云々」の話を聞かされたら、多くの子供は「いま貸さなきゃ(または返さなきゃ)いけないのだな」ということを察してしまうだろう。このように察した結果によって子供が行動しているなら、それは残念だ。

*2:これが強要できる背景には、大人が子供に対して「実力を行使」した場合、力の差は圧倒的で子供に抗う術が無いという事実があることに注意する必要がある。戦争論の「戦争の定義」を思い出せ。