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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

それは「なぜ必要」で「なぜ自分がやるのか」を考えることの効能とか

最近、石田の妻は消防車のサイレンを聞くと、石田に呼び出しがかからないか気にするようになった。妻は、石田が災害で呼び出されるとき、石田の携帯電話がどういう音を出すか知っていて、その音を聞くと石田に「火事だ」と声を掛けてくれる。
さらには、石田が家で子守り兼留守番してて妻が近所に買い物に出かけてるとき、妻は消防車のサイレンを聞いて「すぐ帰るべきか」と石田に電話して来たりもした。
我が妻ながら「団員の妻の鑑」に認定してしまおう。


石田が消防団やってることに、妻の理解が得られていることには、普段から「なぜ消防団が必要なのか」とか「なぜ石田が消防団やってるのか」について、話しあってることが重要な理由になっていると、石田は考えている。*1
さらにその大前提として、石田が「消防団やらされてる」わけでないことが、石田の妻と石田にとっては非常に重要なことだ。もし、石田が「消防団やらされてる」のだったら、妻はここまで消防団について理解を示してくれなかっただろう。


なんか、このあたりの事情は PTA にも相通ずる物がある気がする。「PTA役員やらされてる」方は、家族の理解を得るのが難しいのではないだろうか?


石田は PTA については「やらされてる」くらいなら、 PTA なんぞ無くなってしまえば良いと考えている。たぶん PTA によって得られる物は、 PTA が無くても得られるだろう。同時に「やらされてる」PTA では、得られるものが少ないだろうとも考える。
けど、消防団はそんな簡単に「無くなってしまえば良い」と言えないところが悩ましい。