石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

【重要】まずは「石田のヲモツタコト」の中の人と「その他の石田」の分離を読んでください。

タンポポの Wisdom はいくつであるのが妥当か?

小学校の二年生になったわが子の国語の教科書に、タンポポが種子を成熟させてから、風に乗せて飛ばす経過を説明する文章が載っている。内容は、まったくもって自然科学の読み物であり、いわゆる「物語」の類ではない。雨の日には綿毛がしぼむことまで書いているあたり、自然科学の読み物として石田のすごく好きな部類の物である。
しかし、自分でも「こんな難癖つけなくても…」とか思いつつも、ちょっとだけ気になる点がある。それは、タイトルと本文の中でタンポポに知恵があるかのような表現をしている点だ。


確かに、タンポポの綿毛の仕組みはすばらしい。しかし、それは偶然にそのような仕組みになり、そうなった種がより有利だった結果であって、タンポポが「こういうくふうをしよう」とか「タネをもっと遠くまで飛ばしたい」とか考えたわけじゃない。
これを知恵と述べるのは、そのすばらしさを強調するための一種の喩えであって、この文章を書いた方もタンポポに知恵があると思ってるわけじゃないことは、もちろん承知している。しかし、これを読む小学二年生のわが子は、そのことを正しく理解はしないだろう。
小学二年生当時の石田だったら、うっかり「タンポポはそんなくふうをしたんだ」とか「タンポポには天気がわかるんだ」とか思って、納得してしまいそーな気がする。その上ついでに「タンポポすげーアタマいーな。そこんとこアサガオってバカだよな」とか思ってしまいそうだ。


もちろん、小学二年生でそのような納得をしてしまっても、たぶん中学校に進学するまでに「植物はなにか考えたり思ったりはしない」という知識は手に入れるだろう。そして、中学校の理科か高校の生物の授業で、本当はどういう経緯でそのすばらしい仕組みを獲得したのかを習うだろう。その過程で「生き物が自分でくふうして、自分の体の仕組みを作ったりはしない」ことも、おそらく理解する機会があるだろう。


この文章は、わが子が音読の宿題として、石田に読んで聞かせてくれた物だ。とりあえず石田は、最初にそれを聞き終えたとき、わが子に「ここで『ちえ』って書いてるのはそう喩えてるのであって、タンポポがそうしようと考えたわけじゃない。タンポポの綿毛の仕組みが、どうしてそうなったのかは中学校と高校で習うから楽しみにしていたまい」との旨を話した。
よけいな話をしてしまっただろうか?


この話をしているとき、昔読んだとあるゲームのマニュアル(だったと思う)に書いてあった、秀逸な一文を思い出した。そのマニュアルに曰く「蜂の社会性は驚嘆に値するが、蜂に知性があることにはならない(うろ覚え)」。


願わくばわが子には、遅くとも高校を卒業するまでに「キリンは高いところの葉っぱを食べたくて首を長くしたんだよ」ってことじゃないことを理解してほしい。


以下 2010/05/13 追記:
ついったとブコメで指摘していただいたところによると、高校でも全員が習うわけではないとのこと。生徒による科目の選択と学校による単元の選択が、ちょうど生物の進化を扱う組み合わせでないと、突然変異と自然選択による進化の仕組みを学校で習う機会は無いそうだ。
中学校の理科では、確か進化の話は出てきた覚えがあるけど、そのときに自然選択の話までしたかは記憶に無い。たぶんしてなかったと思う。この辺の事情はトラックバックをもらった id:doramaoさん のエントリに情報がある。
ラマルク的な何かと素朴生物学 - とらねこ日誌


そっかー。習わないかもしれないのかぁ。中学で中途半端に進化のことを習うのが、かえって厄介なことになるかも知れんなぁ。その辺のことも上記の id:doramaoさん のエントリに詳しい。
これを高校までの課程にぜひとも組み込むべきかはともかく、わが子には知っててほしい気がする。わが子には、石田の信仰に基づいた教育を施す*1予定なので、たぶんヤツらは自力で何とかするだろう。まぁ、機会があれば「この本読め」くらいの助言はしてやっても良かろう。

*1:あくまで石田自身がこの信仰に基づいた教育を施すのであって、わが子にもこれを信仰するように勧めたり強制したりするわけではない。このことはとても重要なことだ。