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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

小学校で「すみれとあり」を読んだ

 今日は 息子2(小2) のクラスに、絵本の読み聞かせに行った。


 読み聞かせは時間割で「としょ」になってるコマ。読み聞かせに充てる時間は、たったの 15分 で、しかもその時間に 2人 の大人がそれぞれ 1冊 づつ、あわせて 2冊 読むのだ。今日は、もう 1人 の方が先に読み、 5分 ほど使ったところで、石田が読む番になった。石田が選んだ*1演し物は「すみれとあり」だ。残り時間は、たったの 10分 だ。石田は字面通りには読まず、テキトーに飛ばし読みしながら、いくつか話を付け足した。


 石田が付け足した話はこんなの。

  1. 「アリとキリギリス」は絵本の世界のお話だが、これから読む本は君らが生きている現実の世界のお話だ。
  2. 君らが住んでるこのへんには、スミレはあまり無い。タチツボスミレがたくさん生えてる。
  3. ここには双葉が描いてある。スミレもアサガオと同じように、まず双葉を開き、それから本葉が生えてくる。
  4. この本には「スミレとミツバチやアリは『なかよし』だ」と書いて*2ある。この『なかよし』は、「君と君は『なかよし』だ」と言う場合の『なかよし』とは、同じ言葉でも意味がぜんぜん違う。その違いについて考えてみろ。*3


 ほかにもこんな話がしたかったが、それは当然に無理だった。

  1. オオイヌノフグリが描いてある。昔の日本人は、なんでこんな可憐な花に、こんな容赦無い名前をつけたのだろう?
  2. ここに描いてあるタンポポは「セイヨウタンポポ」ではなく「カントウタンポポ」らしいぞ。
  3. どうしてスミレの花は、こんなに蜜を吸いにくい形になってるんだろう? ミツバチはなぜ、もっと蜜を吸いやすい花を選ばないのだろう? もっと蜜を吸いやすい形のスミレが突然変異で現れたら、その種は今のスミレのように繁栄し得るだろうか?
  4. ミツバチが蜜を吸うのはわかるとして、なぜスミレはミツバチに蜜なんか提供するのだろう? それでスミレはなにか得するのだろうか? それともスミレは欲得でなしに蜜を提供してるのだろうか? 欲得でないとしたら、なぜそんな不思議な事になったのだろう。
  5. アリが蝶の羽を運んでる。なんのために運ぶのだろう。この蝶はアリが狩ったのだろうか? それとも、蝶はアリの活動とは無関係に死んだのだろうか?
  6. 本には「白い塊はアリのごちそうだ」と書いてある。しかし、ここに書いてある観察事実だけでは、「白い塊はアリのごちそうだ」とは言えない。アリはそれを食べないかもしれない。スミレが「アリは蛹を巣の中に運ぶ」ことを利用して、アリを騙して運ばせてるのかもしれない。
  7. この本で言う『なかよし』には、他にも似た例がたくさんある。何か知らないか?
  8. 「白い塊はアリのごちそうだ」が真実と仮定すると、この本で言う『なかよし』とは「両方が得をする」関係と言えそうだ。生き物の世界にはこれとはちょっと違った関係も、たくさん例がある。例えばカクレクマノミとイソギンチャクの例は、この本で言う『なかよし』とはちょっと違っている。どう違うだろうか? これを考えるにはまず、実際にカクレクマノミとイソギンチャクをよく観察する必要があるだろう。けど、俺はそんなヒマじゃないので、観察する部分は図書館かネットで調べて、それを基に考えることにする。


 この本を読むのに、たったの 10分 しかかけないのはあまりにもったいない。もちろん、子どもらが本を好きになって*4くれれば、子どもらは本からいろんなことを勝手に学ぶだろう。けど、それだけのことなら、なにも大人が読んでやる必要は無い気がする。むしろ、子どもが好きな本を、好きなときに、好きなだけ読んで、やめたいときにやめる方が、本を好きになるのではないだろうか。


 考えながら読む訓練をするには、ただ読んで聞かせるだけでは不十分に思える。世の中にはデタラメを書いてある本もたくさんあるし、仮にそういう本が無いとしても、考えながら読むことはとても重要だ。
 本を読み聞かせるなら「読んでなにか考えたか」「似た話を知ってるか」「これナマで見たことがあるか」「ナマで見たければどうすべきか」とかのいろいろなことを、子どもと一緒に考え、議論する時間がほしい。そうすることはたぶん、考えながら読む良い訓練になるだろう。石田が子どもに本を読み聞かせる主な動機は、そういう子どもとの議論こそが、ものすごく面白いからだ。子どもは当然に、既知の科学的知識とまったく相容れないことをたくさん喋る。そういうとき石田は、その子どもが言う「考え」を確かめたり、逆に否定するにはなにが必要だと思うか、子どもに尋ねてみたりする。子どもは、石田には思いもよらないことを、本当にたくさん、しかも面白げに話す。そうしている時間が、石田にはとても楽しい。わが子らはそういうことがとても楽しいことを、子どものうちにどのくらい理解*5するだろうか。


 以下余談。
 昨日、妻が同じ本を他のクラスの子に読んで聞かせた。妻は、家にあるタチツボスミレの茂った鉢(プランター)を、わざわざ教室に持ち込んで子どもらに見せたのだそうだ。そんで石田に「その鉢は学校に置いてあるから、子どもらに見せてはどうか」と言う。石田は「見せたいけど持ってくのメンドウだなぁ」とヲモツテいたのだった。鉢はあさって妻が持ち帰るそうなので、そのまま学校に置いてきた。それなら楽ちんだ。鉢には、花はさすがに咲いてないが、未熟な実や、種が詰まった実や、もうはじけた後の実があり、子どもらは面白げに見ていた。

*1:こういう読み聞かせの際には、どの本を読むかを「読む人」が決めることは、とても重要なことだ。もう 1冊 の方を選んだのが、「読む人」だったのかどうかは知らない。驚くべきことに、学校の先生が読む本を指定することすらあるそうだ。石田だったら、そんなつまんない役目は余程の事情が無い限り引き受けない。

*2:本には「スミレとアリはともだち」と書いてあったが、わざと『なかよし』と読んで聞かせた。

*3:みなまで言い終わらないうちに、ひとりの男の子が意見を述べた。その意見がとても面白かったことは覚えてるのだが、なんと言ったのかは忘れてしまった。

*4:ただし、絵本の読み聞かせに「子どもが本好きになる」といった効能があるかどうか石田は知らないし、そういう効能を期待してもいない。

*5:あんまり理解しすぎて、自然科学の研究者とかになられたら、ちょっと都合が悪い。もしそうするなら、日本を離れてやってほしい。日本では自然科学の研究者の待遇が、仕事の質と量に比べて低すぎるようだ。わが子は金持ちになった方が、石田としては好都合だ。