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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

差別が無いことにしたい人々

 先日来、 PTA に関連して起こった出来事について、小学校の校長先生と副校長先生そろってお話する機会が 2回 あった*1。そこで、 PTA を取り巻く「差別」の問題について*2お話した。

 まずは 小学校 PTA 委員の「新旧引継ぎ会」(前編) - 石田のヲモツタコト の件だ。石田から、下記の部分をお話した。

 今日(2014/4/22)は 小学校 PTA の新旧委員引き継ぎ会。石田は 新学級代表委員 として参加。ここで 学年代表 を決める。しょっぱなに 旧委員 の方から「できれば女性の方で」とお話がある。理由は、本部と連絡が密に必要とか、平日の昼間に緊急の連絡があるかもとか、時間の自由がある専業主婦の方が良いとか。

 引用元のエントリにも少し書いたが、石田は、これだけの情報で『差別だ』と断じるべきと考えている。

 1回目 の話し合いのとき、校長先生と副校長先生には、この話を聞き取ってこれがすべて事実だと仮定して、「差別」だと判断できるか訊ねたところ、副校長先生は「これだけの情報からは差別とは判断できない」と応えた。

 校長先生の方は、そういう判断をする以前に、「差別なんて恐ろしい言葉を使わないでほしい」と必死で主張する。小学校の校長先生が、そういう態度をとることにはちょっと驚いた。解同がやってた糾弾の記憶が強い方なのだろうか。とにかく「『差別』こわいこわい」という態度を強く示し、これが「差別」かどうかもわからないのだそうだ。

 2回目 の話し合いでは、校長先生と副校長先生でない、もうおひとりの先生に、同じ問いに答えてもらった。その先生からも、「これだけでは差別だと判断はできない」とのお話を頂いた。

 2回目 の話し合いの席で、石田から 3人 の先生方に、「この話を聞いて(または読んで)『差別だ』と判断しなかった方は、石田は 3人 しか知らない。ここに居らっしゃる 3人 の先生方だけです」とお話した。

 副校長先生からは、「差別かどうかは石田の主観であって、客観的に差別と言えるかは違う」などという、まったくなんにもわかってないのだということが直ちにわかる発言があった。

 「差別を識別する客観的な指標」なんてあるか。「この線からこっちが差別で、こっちは差別じゃない」なんて線が引けるものか。差別は、すべてそれを見聞きした方個人の主観で「差別」かどうか判断しているのだ。そして、多くの方が『差別だ』と断じるであろう出来事というのはいろいろあって、上に挙げた「できれば女性の方で」の話は、たぶんほとんどの方が『差別だ』と断じるであろう出来事だ。

 石田はリアルで会った方数人に、この話をして聞かせた、古くからの石田の友人もあれば、初対面の方もあり、みなさん直ちに『差別だ』と断じられた。ネットでの反応も、いくつか見つかったものを眺めたが、「差別ではない」という主張は見つからなかった。ネットでは、どうしても石田と意見が近い方の意見のほうが目につきやすいという事情はあるものの、これを『差別だと判断できない』って書く勇気のある方は、あまり多くはないだろう。*3

 ◆

 このお話が、どのように『差別だ』と言えるのか、こういう差別を排除していくには何が必要か、以下に石田の考えを述べる。異論や反論がある方は、ぜひともコメント欄ででも、メールででも、そのご意見を石田に伝えてほしい。

 「本部と連絡が密に必要」はまったく性別関係無い。「平日の昼間に緊急の連絡」に応じられるかどうかも、男女で決まることじゃない。現代の多様な働き方や生き方について考えれば、応じるのが容易な男性も、難しい女性もどっちも居る。「時間の自由がある専業主婦」の話も同様で、フルタイムで働いてたって、時間の自由がある方も居れば、日々の家事をこなすのに手一杯で、自由に時間のやりくりをするのが難しい専業主婦の方も居る。専業主婦が暇人だと言いたいなら間違いだ。そういう方ももちろん居るだろうが、そうでない方もたくさん居る。家庭の経営を一手に引き受け、これをアクティブに切り盛りしている、専業主婦のプロフェッショナルの方々*4に謝れ。

 上記の通り、 旧委員 の方が述べた理由は、まるで「できれば女性の方で」と言うべき理由になっていない。しかし、だから差別だと断じることができるのではない。そもそも PTA の委員をやるのに「女性のほうが良い」事情があり得るし、あって良いと考えていることこそが、この差別の根幹だ。

 そもそも小学校による公教育は、学校職員の方と、児童の保護者の方、地域の方々が協力して営むべきものだ。この「保護者」に、非常に多くの男性が居ることを知らない方など、滅多にいない*5だろう。なのに「女性でないと関与が難しい事情」があって良いと考えている事が、差別でないはずがないだろう。*6

 そして、その『差別』に気づかない、差別についての学びが不十分な方々や、『差別』を見て見ぬふりする方々こそが、差別を再生産し続け、持続させようとしている張本人*7であることを、もっと多くの方が理解する必要がある。差別といえば、「男女差別」「民族差別」「部落差別」といった、教科書で習った、新聞に載り、テレビで取り上げられる、自分とは遠い世界の話の出来事だと考えている方が、その考えの誤りに気づかなければ、差別は再生産され続ける。

 差別は、生活の現場のすぐそばにあって、ほとんどの場合に自分でない誰かを傷つけている。それに気づかない、または見て見ぬをふりをする自分自身が、差別する側の主体であることをもっと多くの方が理解すべきだ。

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石田剛 IshidaTsuyoshi

*1:もっとも、石田がその機会を望んだのではなく、 1回目(2014/4/25) は小学校にお手紙を届けに行ったら、そこで捕まって強引に会議室に連れ込まれたのだ。 2回目(2014/5/2) は、石田が準備中の PTA学級通信 の配布について相談し、配布しない場合はその理由を書面でもらう旨約束したのだが、「どうしても会って話したい、配布に協力するためには必要な話し合いだ」と言われて、しぶしぶ出向いて話したのだ。

*2:他にも同調圧力やいじめなど、いろいろ「PTA や小学校が子どものお手本」としてダメすぎる話をした。たぶん、また今度書くだろう。

*3:最近は自らレイシストであることを認めるような方々も目につくようになった。これは web っていう媒体によってバカが「見える化(笑)」され、今まで見えなかったものが見えるようになった結果なのだろう。これは、珍しいから目立つのであって、絶対数は少ないのだと石田は理解している。

*4:ex:パート始める前の石田の妻

*5:父親がいない子ども、父母ともに一緒に暮らすことができない子どもも居る。この事については、ここにほんのちょっとだけ書いた。
see: 小学校 PTA 委員の「新旧引継ぎ会」(後編) - 石田のヲモツタコト

*6:それとも「子どもの教育は母親が主体となるべきで、父親は関与しないか、せいぜい補助的な立場で居るべきだ」とでも言いたいのか。これがおかしいってことを理解できない方は、さすがにまれだろう。これがおかしくないって方がいらっしゃたら、ぜひこのエントリのコメント欄か石田宛のメールで、その旨を述べてくれ。「そんなことしたら激しいバッシングを受けることが明らかだから書けない」のであれば、それも上述の「まれ」であることの証左のひとつだ。

*7:当然、上述の 3人 の小学校教員の方は、その張本人の一部に間違いない。