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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

子どもを大声で罵倒する小学校教員(後編)

小学校 体罰 子ども 教育

 先に報じた『子どもを大声で罵倒する小学校教員(前編) - 石田のヲモツタコト』の後編。

 前編の最後に載せた、松田教諭による回答を受けて、石田が松田教諭に宛てた手紙を公開する。強調と脚注は、 (※1), (※2) 以外は、公開するにあたって補ったもの。*1

 この手紙は 2014年11月4日 に 息子2 が松田教諭に手渡し、同じ日に連絡ノートで、松田教諭からは 「お手紙受け取りました。またコピーを校長、副校長にわたしました。」とだけ回答があった。

松田先生


 お世話になっております。
 息子2(小3) の父の剛です。以下、剛の一人称は石田で通します。


 このお手紙には、「読んだ」とだけ回答していただければ結構です。


 2014/10/20 中休み の件、ご回答ありがとうございました。


 松田先生は、 息子2 と事実関係について合意することなく、無意味に 息子2 を罵倒した可能性が高いと考えます。改めて、松田先生に限っては、 息子2 に限らずすべての子どもに対して、生活面などの指導をしないようにお願いします。*2


 先にお伝えしましたとおり、 息子2 について生活面などで指導すべき事実を、子どもや、保護者の方、他の先生方などから聴き取った場合は、その旨を石田に伝えてください。松田先生が直に見聞きした場合も、石田に伝えてください。これは、石田に限らず、他の保護者の方にもぜひそうすべきと考えます。こういうことを、学校だけで対処すべきではありません。



 上記のことを石田にお伝えいただく場合は、 連絡ノート, 手紙, e-mail のいずれかでお願いします。どうしても必要な場合は、石田の携帯電話の留守電に入れてくださっても構いませんが、なるべく避けてください。通常は、こういう連絡は、電話で済ませて良いものだと、石田は考えています。しかし、石田についてはそうできない事情を抱えてしまったこと、先のお手紙でお伝えしたとおりです。


 (2014/10/20 の前の週にも 息子2 を指導すべき事案があった)件、もっと早く伝えていただけていれば、石田から 息子2 に適切な指導ができました。これを伝えていただけていなかったこと、とても残念です。こういうことは、 息子2 から石田に話すべきことであり、石田から 息子2 には「学校で先生から何か注意されたり、指導されたりしたことがあれば、必ず俺に言え」とは教えていますが、これができる子どもはたぶんまれです。



 松田先生から連絡ノートでいただいた回答は、石田の質問に明示的に答えるものではありませんでした。子どもらに日本語を教えるのも、先生の重要な仕事の一部ですから、普段から、もっと上手に日本語を使っていただけますようお願いします。


 日本語の問題はさておき、明示的ではないものの、多くの児童が見ている状況で、松田先生が 息子2 を罵倒したことについては、松田先生と石田で事実であるとの認識が一致しました。先生が、事実の隠蔽を企てなかったこと、素心から感謝します。そのような先生の態度を石田は尊敬しています。*3


 罵倒は体罰であり、上記の罵倒を例外とすべき事情は見当たりません。体罰について速やかに管理職に報告し、管理職を通じて教委に報告すべきと考えます。さらに、類似の事例がないか調査した上で、少なくとも 3年2組 の児童と保護者全員に、体罰があった事実と善後策を、書面で周知すべきと考えます。この際、保護者の方の多くは、初等教育の専門家ではありませんので、この一見体罰ではなさそうな行為が確かに体罰であって、それが子どもにとってどのように害があるか、初等教育の専門家である小学校の先生方から、解説を添えるべきと考えます。



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 以下は、ご参考までに。


 石田は、松田先生は標準的な教員としての能力を備えていないと考えます。ただし、先生が教職を去るべきだとは考えていません。先生が、教員として、なるべく早く標準的な能力を身に付け、石田がお願いしているような、異常なお願いをしないで済むようになるのが、最善だと考えています。同時に、もっと教員としての適性が高い方が、教員採用試験で不採用になっているであろうことは、とても残念なことだと考えています。



 (2014/10/20 に 息子2 を指導した理由のひとつを、ここに具体的に記述して示したが、その内容は公開しない。)について、大人がとやかく言うべきではありません。それは、子どもの世界で解決すべきことであり、ほとんどの場合解決します。そこへ大人が口出しするのは、過剰な干渉であって指導ではありません。そういうことをすると、かえって子どもの世界の人間関係を損ないます。しかも、大人がそういうことをしていると、多くの子どもが、子どもの世界の問題解決やいじめの実効を得るために、愚かな大人を利用できることに気付き、実際に利用するようになります。子どもに、そのようなことをさせるべきではありません。*4



 子どもに生活面での指導をするには、子どもの様子をよく観察したり、子どもの気持ちを聴き出したり、必要な助言をしたり、とても手間と時間がかかります。多数の児童と関わる小学校の先生が、その役割を果たすことを、社会は期待すべきではありません。そういう役割は、学校ではない誰かが果たすべきです。


 その「誰か」の筆頭に挙げるべきなのは、個々の家庭です。その家庭を支援する役割は、 スクールカウンセラーの方, 町田市教育センター, 児童相談所 などに果たしていただくべきです。別途、学習面において、質的にも量的にも大きな役割を担っている小学校の先生方に、その役割を押し付けるのは極めて明白な誤りです。


 その生活面の指導をする役割を、個々の家庭だけに押し付けてもいけません。その役割を十分に果たせない家庭も、非常にたくさんあります。社会全体が、子どもを守り、様子を見聞きし、必要な指導をすべきであり、すべての方が、その社会の成員である自身の責任を自覚して、その役割を担うべきだと石田は考え、かつ実践しています。



 石田は、松田先生から教えていただいた内容を読んだ上で、 息子2 から事情を聴き取りました。石田は、こういう時に、子どもの回答を誘導しないように、厳に注意して問いかけます。しかし、これはとても難しいことで、今回も後から自省して、小さな誘導をしてしまっていたことに気付きました。


 子どもに誘導尋問を仕掛ければ、極めて容易に大人が描いたシナリオ通りの話を、子どもに言わせることができます。しかも、そういうことをすると、子どもの記憶は、その大人が描いたシナリオのとおりに、容易に書き換わります(※1)。この書き替りを起こしてしまっては、事実を聴き取るのが難しくなるし、子どもになにがいけなかったか考えさせるような、適切な指導はできなくなります。


 石田はこういう場合、「真実はわからない」という前提に立った上で、子どもと石田の間で「事実だ」と合意したことについて、子どもと話し合います。そこで、事実を聴き取るのみでなく、「なぜそうしたかったのか」「その時どんな気持ちだったか」を聴き取る努力をします。その上で、はっきり教えなければいけないことは教えて、なぜそうすべきなのか、今後はどうするべきなのかを、子どもに考えさせます。


 これは手間と時間のかかることです。そんなことを、石田は学校の先生方にしてほしいとは考えていません。そんなことは物理的に不可能です。


 ※1:
 子どもに限らず、大人でも、容易に記憶が書き換わることが知られています。これは、科学的な検証も十分にされている知見です。石田は、たぶん、子どもの方が大人よりずっと容易に、事実と大幅にかけ離れた記憶を、本当の記憶だと誤認しやすいだろうと考えていますが、その科学的な検証がされているかは知りません。



 今回の(指導の対象になった)出来事については、 息子2 から「なぜそうしたかったのか」「その時どんな気持ちだったか」を含めて、いろいろな事を聴き取ることができました。その上で、石田から、 息子2 に下記の旨を話し、これらのことについて 息子2 と一緒に考えました。

  1. 相手がいやがっていることはやめる。
    仮に相手が「やめて」「いやだ」等と言わない場合であっても、いやがっていることがわかる場合もある。そういう場合もやめる。
  2. 誰かをからかって遊ぶのは楽しい。だが、してはいけない。(※2)
  3. わざとでない場合でも、相手に嫌な思いをさせたら、すぐに謝罪すべきだ。
  4. 松田から今回のように「ちょっと来なさい」などと言われたら、「断る」とはっきり言って断れ。


 これらのことを、 息子2 は、すぐには理解できないし、身にもつかないでしょう。こういう指導は、継続的に時間をかけてやる必要があります。そういうことを、忙しい小学校の先生方がするのは、そもそも物理的に不可能だし、加えて松田先生には、そのようなことをする能力は無いのだと石田は考えています。


 ※2:
 「楽しいけどしてはいけない」については、ここに石田の考えを述べてあります。 http://ishidatsuyoshi.hatenablog.jp/entry/20140912/1410520073


 その後 2014年12月1日 に、石田から学校に電話した際、髙澤副校長から「罵倒ではなく叱責だと認識している」と回答があった。 そのほかには、学校からも教委からも、この件についての問い合わせや通知の類は一切無い。

 「罵倒ではなく叱責」には、石田は同意しない。仮にそれが叱責であっても、それはパワーハラスメントであり*5、かつ体罰でもある。子どもを指導する際に「叱責」と称して、大声で怒鳴りつける必要はまったく無い。やはり、この学校では、石田が子どもの時に通っていた小学校や中学校と同様に、児童の権利は踏みにじられている*6

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石田剛 IshidaTsuyoshi

*1:公開するにあたって、息子2 でも石田でもない方のプライバシーに関わる記述を 2箇所 削り、別の 4箇所 を少しだけ書き換えた。このプライバシーに関わる言及以外には、文意が変わったりはしていない。

*2:石田は、すべての大人はすべての子どもを守る義務を負うべきだと考えている。だから「息子2 に限らずすべての子どもに対して」と書いた。

*3:一般的には「態度を尊敬する」とは言わず、「誰々を尊敬する」と言うようだ。石田も、そのように言うことはしばしばあるし、石田もとても多くの方々を尊敬している。しかし、その尊敬すべき方々が、常に尊敬に値する態度や言動をしているわけではない。ここでは、特に、この松田先生の態度が、尊敬すべき態度であることを強調したくて、「先生の態度を石田は尊敬しています」と石田は書いた。日本語の研究者はよ。

*4:例えば、誰かを叱って欲しくて、わざと大声で泣いてみせるとか。石田の知る限り、これをやらない子どもはめったに居ない。石田が子どもだった時のことを思い返すと、もっと狡猾な方法を使う子どももたくさん居た。しかし、そういうことをする子が「悪い子」なのではない。子どもはみんな、そういうことをする能力を備えているし、自分を守るためにそうすることは、極めて自然なことだ。これは、とても重要な事だ。

*5:もちろん、それが罵倒であってもパワーハラスメントだ。

*6:ただし、この学校は、石田が子どもの時に通っていた小学校よりは、はるかに良い学校だ。石田はこの学校に通っている 息子1, 息子2 が、心底うらやましい。この事については、この学校の先生方(松田教諭と髙澤副校長と村上校長も含む)をはじめ、教育現場の改善にご尽力された先人の方々や、我が子らに関わるすべての方に、とても感謝している。そのおおよその旨は 2014年12月1日 に、村上校長と髙澤副校長と会ってお話した際に、直接お伝えした。けど、たぶん充分には伝わっていない。