石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

【重要】まずは「石田のヲモツタコト」の中の人と「その他の石田」の分離を読んでください。

町田市教委では子どもを大声で罵倒することは容認しているそうだ

 先に報じた、下記の件について町田市教育委員会から見解を頂いたので、それに対して石田からした回答と併せて公開する。*1

市教委から届いた見解 2015/02/04 受信:

石田様



いつもお世話になっております。


かねてより石田様からお問い合わせいただいた松田主任教諭の指導の件ついて、学校から報告を受けました。その報告に基づき、町田市教育委員会といたしましては、以下のとおり考えていることをお伝えいたします。


第1に、 息子2 君は、以前に3年生の友達の帽子を取り上げて濡れた草むらに置きっぱなしにしていました。松田主任教諭は、この件について注意喚起のための指導を行いました。そして、 息子2 君は、同じ友達に対して自転車に乗って追い掛け回しました。このような状況で松田主任教諭は、 息子2 君に対して「人として恥ずかしいと思わないのか」という言葉を用いて指導をしました。それは 息子2 君が過去にも同じようなことで指導を受けたことを思い出させ、繰り返し同じような行為を行ったことを反省させるために用いた言葉であり、人権を侵害するような暴言であるとは考えていません。


第2に、松田主任教諭は、 息子2 君に対して通常話す声よりも大きな声を出して指導を行いました。しかし、その際に松田主任教諭は 息子2 君の耳元で発した訳ではなく、ある程度の距離を保っていました。したがいまして、松田主任教諭が 息子2 君に対して身体的に著しい苦痛を与えたとは考えていません。


第3に、松田主任教諭は、一時の感情的な昂ぶりに任せて通常話す声よりも大きな声を発したというよりは、前回行った指導との差異をつけ、更なる注意喚起を図るという明確な意図をもって指導したと考えております。


第4に、 息子2 君は、アンケート調査及びその後の個別面談で体罰をされたとは考えていないと回答しています。このことからも松田主任教諭が 息子2 くんに対して精神的にも著しい苦痛を与えたとは考えていません。


以上のことから、本件は体罰とは考えておりませんが、松田教諭が行ったように大きな声で「人として恥ずかしくないのか」という言葉を用いる指導が、この場合最もふさわしい指導であるとも考えていません。冷静に繰り返し説諭することや、話し合いを通して嫌な思いをした友達の気持ちを十分に想起させることなど、様々な指導が考えられます。そこで、鶴川第一小学校にはこのことを伝え、管理職から松田教諭に対して指導を行うことを指導・助言いたしました。


ご理解の程、どうぞよろしくお願いいたします。



町田市教育委員会 指導主事 井元 章二


 これを受けて石田が送った回答のメールがこれ。脚注は、公開にあたって補ったもの。

石田が送った回答 2015/02/07 送信:

井元さん


 石田です。


 そのように考える根拠を述べてください。それ無しに、ただ「学校からの報告に基づきこう考える」とだけ述べられましても、それではただの妄言を聞いているのと同じです。石田はその報告が、事実が起こった後の十分に早い時期に作成した記録に基くものであるかも、その内容も知らないのです。


 井元さんの方では、どういう事実に基づいてそのような判断をなさったのでしょうか? ただ、報告の内容を鵜呑みにしただけですか?


 少なくとも、井元さんと石田の間には、「こういう事実があった」という合意は、まったくありません。まずは、井元さんが「事実と認識したこと」を、根拠を添えて述べてください。井元さんの方では、事実について石田と合意を形成しようとする意図は無く、ただ一方的に結論を提示したいだけであれば、明示的にそう述べてください。



 石田が事実を記録し、松田教諭と合意した時期*2は、先にお伝えしました通り、事実が起こってから充分に早い時期でした。当事者である松田教諭の記憶は、充分に鮮明であった可能性が高いと、石田は考えています。その合意した事実に基づいて、石田は松田教諭の行為が、指導として不適切だったと言うにとどまらず、それは体罰であり、パワーハラスメントであったと考えています。


 例えば、井元さんが、大勢の同僚や家族が見ている目の前で、上司から大声で「人として恥ずかしいと思わないのか」と罵倒されたとして、それはパワーハラスメントではないのですか? そのときに感じるであろう屈辱感や、自己の尊厳が踏みにじられる状況に、黙って耐えねばならないことが、大きな苦痛を伴うであろうこと、本当に想像できないのでしょうか?


 しかも、この時の井元さんは、上司が自分を殴れば、その上司の手には手錠がかかるということを知っています。それを知らない子どもが、腕力では到底敵うはずのない大人に大声で罵倒されたとき、どのような恐怖を感じるか、本当に想像できませんか?


 万一、この例えが不適切で、 息子2 の件と同様に考えることができないとお考えであれば、そう考える理由を述べてください。石田は、この例えは極めて適切であり、今回の問題を考えるに当たっては、このように考えることが重要だと考えています。



 そして、事があった 2014年10月20日 の夜に、このことについて石田が 息子2 と話し合ったときには、 息子2 はとても話し難そうな様子で逡巡し、要領を得ない応答を繰り返しました。その上で、ようやく聞き出せた話が「先生が何の話をしていたかは覚えていない。ただ、怖かった」でした。 息子2 が、その日の夜もまだ、強い恐怖を感じていたことは間違いない*3と、石田は認識しています。


 井元さんは、そういう事実を石田から聞き出す努力はまったくしないまま、ただ学校側の主張だけを聴き取って、石田に結論を送り付けてきました。これは、極めて不適切なことだと、石田は考えます。


 「会って話せば、聞き出そうとした」という言い訳はしないでください。 e-mail で訊ねれば済むことです。石田から、そうするように促すこともしました。



 自転車の件は、松田教諭はどのようにして、その事実を確認したのでしょう? その様子を松田教諭が見ていたわけではないこと、井元さんももちろんご承知ですよね? 石田の知る限りでは、松田教諭は、事実確認と言えるようなことはなにもしていないはずで、その事実について 息子2 と合意もしていません。



 声の大きさについては、先にお伝えしました通り、たまたま近くに居た 息子1 (息子2 の兄, 小6)が「すごく驚いた。とても怖かった」との旨を述べています。息子1 によれば、学校で怖い思いをしたのはそのときだけで、他に同じような怖いことは、記憶に無いとのことです。


 これを指して、「通常話す声よりも大きな声」と表現するのは不適切であり、「怒鳴りつけた」と表現するのが適切だと、石田は考えます。


 息子1 または石田が嘘をついているとお考えであれば、そう考える根拠を述べてください。



 「(大声によって)身体的に著しい苦痛を与えたとは考えていません」は、石田もそんなことは考えていませんし、そのようなことを述べた記憶もありません。なぜ、わざわざそのようなことを述べるのでしょう?


 石田は、大勢の児童が見ている場所で、大声で罵倒したことを「体罰である」と指摘しています。石田が「有形力による身体的な苦痛を伴う体罰」について述べているのでないことは、まったく明らかです。



 松田教諭が、一時の感情的な昂ぶりで他人を怒鳴りつける方であることは、石田は直に見て知っています。松田教諭が激昂して、石田を怒鳴りつけた件は、井元さんはご存知でないのでしょうか? その場には、村上校長と髙澤副校長も居たのですが、なにも聞いていないのですか?


 もっとも、石田を怒鳴りつける方が、子どもを相手にしても同様であるとは限らないことは、石田も理解しています。松田教諭が、子どもが相手の時には適切に自制できる方なのか否かは、石田にはわかりません。


 ただし、反抗するでもなく、黙って教員の話を聞いている子どもを、激昂していたわけでもないにも関わらず、大声で罵倒したのであれば、それはただの弱いものいじめです。この際に、「人として恥じるべき」なのが松田教諭であって、 息子2 ではないことは、まったく明らかであると石田は考えます。



  息子2 本人がアンケートなどで「体罰とは考えていない」と回答したということが、精神的な苦痛も無かったと考える根拠になるとの主張は、明らかに間違いです。


 体罰を受けた子どもが、それと自覚しなかったり、自覚していてもそう言えないことは、しばしばあることです。「体罰」という概念を正しく理解していないということも、おおいにあり得ます。*4


 子どもに限らず、ほとんどの人は苦痛を忘れることで、その苦痛から逃れられます。子どもが、そういう苦痛を与えた者を容易に赦してしまうことも、よくあることです。ましてや、毎日顔を合わせる担任の教員であれば尚更です。そういう身近な他人を、憎み続けるのは辛いことであり、子どもでも大人でも、その憎悪を忘れることによって、ラクになろうとすることはよくあることです。


 したがって、体罰があったその時点では強い苦痛を感じたにもかかわらず、後日の調査では、子ども自身が「体罰ではなかった」などと回答をするということは、おおいにあり得ることです。


 この、石田が述べた内容が間違っているとお考えであれば、町田市教育センターなどにいらっしゃる、児童心理の専門の方から、どこが間違っているか、具体的にご指摘いただければ幸いです。



 ところで 息子2 に「個人面談」をしたという話は初耳です。それは誰と誰が、いつ、どこで、どの程度の時間をかけてしたのか、至急にご回答願います。上記の内容によっては、 息子2 に対して、家庭での適切なケアが必要と考えます。*5


 その面談が、 息子2 にとって苦痛になる可能性があることを、学校が認識していたのであれば、事前に石田に相談したはずだと、石田は考えます。そういう相談が無かったということは、その可能性について、なんら考慮されなかったのだと断じざるを得ません。今後は、我が子に限らず、どの子どもに対しても、そのようなことはしないでください。



 井元さんから頂いた、町田市教育委会としての見解の内容は理解しました。もちろん同意はしません。上述したとおり、その内容はひどいものです。町田市の教育行政には、非常にまずい問題があること、改めて思い知りました。



 それから、この件について、学校から石田には「罵倒ではなくて叱責と考えている」と電話で伺った以外に、なんの説明もありません。この件、 10月27日に石田から学校に「体罰である」と指摘した後、なんの応答も無く、 12月 のはじめに石田からかけた電話でそういうお話を頂いたのみであるという事実は、井元さんには先にお伝えしたとおりです。


 このことをお伝えした際、井元さんは「なぜ、そのようなことになっているのか調べて回答する」と石田に言ったきり、未だ回答を頂いていません。


 引き続き、回答をお待ちしております。



 ところで、松田教諭の名前は 昂 だったはずだと、石田は記憶しています。


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石田剛 IshidaTsuyoshi

*1:公開するにあたって、公開すべきでない人名をふたつ伏せた。市教委から届いたメールに記載されていた、松田教諭の下の名前は誤りである可能性が高いと判断したので、これも消した。

*2:事が起こったのが 2015/10/20 で、松田教諭と石田が『松田先生は、周囲の児童にも聞こえる声で、「恥ずかしいと思わないのか」などと言って 息子2 を罵倒した。その様子を、多くの児童が見ていた』という事実について合意したのは 2015/10/27 だった。この合意を取り消す旨のお話は、現在に至るまでまったくどなたからも頂いていない。この詳細は、このエントリの冒頭で示した下記で公開している。
子どもを大声で罵倒する小学校教員(前編) - 石田のヲモツタコト

*3:でなければ 息子2 は、石田と話す際に極端に話し難そうな態度で逡巡したりはしなかっただろう。自転車の件も、容易に話してくれただろう。息子2 が、石田と話す際にあんな態度をとったことは、あの時のほかは一度も無い。

*4:有形力や身体的な苦痛を伴わない体罰については、大人でも理解していない人が多いよね。

*5:幸い、 息子2 は、家庭では明るく楽しそうに生活している。石田から 息子2 に「松田とか副校長とかと、そういう話をしたか」「他の子どもがいないところで、誰か先生とお話とかしたか」「教室や廊下で立ち話とかはしたんじゃないのか」などと訊ねたが、 息子2 はすべて「無い」と応えた。しかし、それは 息子2 が忘れただけである可能性はおおいにある。とりあえず石田は、その時判った限りの事から必要と判断した「家庭での適切なケア」はしておいた。その中で、帽子の件や自転車で追いかけた件などについて、 息子2 が知る事実を聴き取り、その事実について 息子2 と石田は合意し、石田から 息子2 に適切な指導をした。松田による体罰の恐怖が無ければ、この 息子2 との事実の合意はもっと早く、容易にできていた可能性が高いと石田は考えている。ただし、ここで聴き取った帽子の件や自転車の件が、上に公開した「市教委から届いた見解」に記されている通りか否かについては明らかにしない。