こないだ書いた 『石田の名前で出すおてがみに朱書きする小学校』 のつづき。その、石田が書いた手紙は、学校では配ってもらえなかった。
石田は、朱書きの通りに書き換えることは、はっきり『断る』と伝えた。先生から『それなら配らない』といったお話は無かった。そして、そのまま、その手紙は配られなかったわけだ。
配られなかった理由を副校長に訊ねると「朱筆の訂正に応じてもらえなかったので配らなかった」と回答があった*1。さらに副校長曰く「世間ではこういうこと(手紙に朱書して書き換えてもらうこと)は普通にあること」なのだそうだ。石田から「先生がおっしゃるのは、上司が部下の手紙を直すたぐいの話ではありませんか?」と訊ねたが、明瞭な応答は無かった。
副校長は「学校で配る以上、学校も責任を負わねばならない」といった話をする。まったくそのとおりだ。だから、 PTA会長 の求めであろうと、ダメな手紙*2には、はっきり「これは配るわけにいかない」と、学校は応じなければならない。
それで、先生が入れた朱書きがこれだ。
この朱書き通りに書き換えないまま、この手紙を配ったとして『学校の責任』としてなにかマズいことがあっただろうか?
石田は、副校長の言う「学校で配る以上、学校も責任を負わねばならない」というお話には、まったく同感である旨を副校長に伝えた。その手紙を配るか否かは、学校または教師の裁量に属すべきことだ。その上で石田は「今回、この手紙を配らなかったことに、正当な理由は無い」と主張した。副校長は「私は正当だと思います」と応答した。みなさんは、どう思われただろうか?
この副校長は、学校が PTA会員 の手紙に朱書きを入れるなんてことは、当たり前のことだと思っているのだろう。その考えの底に『PTA が、保護者の学びの場であることなんてどうでも良い。PTA には学校の下働きでいてほしい』という意識があると考えるのは、勘ぐり過ぎだろうか? しかし、そうとでも考えなければ、副校長の言うことはつじつまが合わない。
--
石田剛 IshidaTsuyoshi