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石田のヲモツタコト

書いてるのは 石田剛 です。

『いじめ』って楽しいんだよね

小学校 PTA 教育

 『いじめ』って、実は楽しい。


 仲間と示し合わせて、気に入らない誰かを侮辱して蔑み、自分のほうが上であることを周囲に見せつけるのって、子どもにとってもおとなにとっても楽しい。この楽しさや、それによって得られる優越感が、いじめや差別が起こったり、助長されたりする重要な要因のひとつだと石田は考えている。

 だから、石田は我が子には『生まれたままのヒトは、それを楽しいと感じる。それは、ヒトが元々持っている性質だ。しかし、社会の中で人間として生きるなら、それがどうダメなのか学び考え、知性や理性といった力で、その性質のままに振る舞わないように自制しなければいけない』と教えている。


 先に伝えた 小学校PTAで起こる『おとなの世界のいじめ』 のときも、いじめの楽しさがよくわかる出来事があった。


 石田は、この茶番が始まる前「あらかじめ互いの立場や意見の違いを明らかにして、論点を整理してからみなさんで話し合うのでなければ、意味のある話し合いはできない。そういう準備をしてから、改めて運営委員会で話し合うべき」との旨を主張した。すると、 PTA役員席 ではないところにいらっしゃった委員の方から、石田が述べた意見について、概ね「そのガタガタ言ってる時間がもったいない。すぐ話を始めるべき」といった内容の発言があった。石田から「『ガタガタ』は取り消していただけますか?」と述べると、その方はとても楽しげな笑顔でお道化て見せて、それを取り消した。何人かの委員の方から、笑い声があがった。みなさん、とても楽しそうだった。


 石田は、この後なにが起こるのか、だいたいは予想できていた。そして、それを阻止しようとするより、むしろ、そこで起こることを多くの方に見聞きして頂き、考えるきっかけにしていただくのが良いと判断した。

 それから、この委員会には校長と副校長も出席していて、この様子をぜんぶ見ていた。彼らが、この出来事についてどういう態度をとるか知ることも、重要な事だと考えた。

 そして、 小学校PTAで起こる『おとなの世界のいじめ』 に書いた通りのことが行われた。


 後日、副校長から、この出来事についてお話を伺うことができた。副校長は「せわしない中で議決された感はある。議決はとして有効ではある」とだけ述べた。石田から「そこにいじめがあったか?」と訊ねたが、それに明瞭な回答は得られなかった。


 この、校長や副校長は、いじめについて、子どもらにどのように教えているのだろうか? ただ、鸚鵡のように「いじめはダメ。いじめはいけない」と繰り返しているだけでは、いじめについて教えていることにはならない。教える側も、教えられる子どもも、なにがどのようにマズいのか、自分の頭で考えることがぜひとも必要だ。

 「いじめが起こるのは、いじめられている側に原因がある」と本気で考えているおとなは、きっとたくさん居るのだろう。そして、そういうおとなは「いじめ」や「いじめの脅威」を利用して他人になにかを強要することに、なんの疑問も感じないものなのだろう。そういう者にとって、その「強要」や「同調圧力*1に抗うことは、いじめに遭うだけの正当な理由であり、いじめられる者が自ら作った原因なのだろう。


 ただ鸚鵡のように「いじめはダメ。いじめはいけない」と喋りはするものの、自らいじめのお手本を示してみせるおとなの姿を見て、子どもらはなにを感じるだろうか。あの「ガタガタ」をお道化て取り消して見せた方や、それを見て笑った方々は、その自分の姿を我が子に見せて恥じない心の持ち主なのだろうか。案外、それを恥じたりはしないのかもしれない。「いじめが起こるのは、いじめられている側に原因がある」と本気で考えているなら、むしろ「良いお手本を示している」と考えるものなのだろう。

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石田剛 IshidaTsuyoshi

*1:石田は「空気」を読まない。強い同調圧力を感じる場合でも、必要な意見は述べるように努めている。特に、ダメなことをダメだと言う場合においては、そこにある同調圧力を押し切って「ダメだ」と言うようにしている。意見が違っていても、協調することは、常にそうできるように心がけている。
See:「協調」について考えたこと - 石田のヲモツタコト